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zoom RSS 東洋大学野球部の歴史−人物A安田昌功さん

<<   作成日時 : 2008/02/02 09:21   >>

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先日、スポーツ紙で桑田投手の御子息が桜美林高進学、という記事を見た。桜美林と言えば少々年代が上の世代にとっては昭和五十一年夏の甲子園での初出場初優勝が思い浮かぶのではなかろうか。伏兵的な存在だった上に、決勝の相手がPL学園ということで、“東西対決”で盛り上がったものだが、今では当時のメンバーの息子世代でも、“ハンカチ王子”様を呼び捨てにできる立場にあるのだから、ずいぶん昔の話になってしまった。

桜美林の優勝から四年後の昭和五十五年の『週刊ベースボール増刊』の秋のリーグ戦決算号に「オベリンナーそれぞれの道」という記事が載っていた。大学で野球を続けている者や草野球を楽しんでいる者、といった近況報告のような内容なのだが、その中の次の一節を引用してみる。
「内野席にも人影がまばらな神宮球場、10月15日東都リーグ東洋大−中央大の1回戦。バックネット裏には学生服の“偵察部隊”が陣取っている。最前列には3人のビデオ係がグラウンドのプレーを追う。その後方にスコアブックを手にした安田昌功がいた。
甲子園1回戦では大会7号の本塁打を放った彼も、東都リーグでは公式戦出場の機会を得られずに、最終シーズンをむかえる。小柄な体のハンデのため打撃面で伸び悩んだのが、ベンチ入りできない原因だった。
高校時代“東京一の遊撃手”と折り紙をつけられた守備を買われ、今年の夏のオープン戦には出場の機会も得た。しかし、ショートの守備は無難にこなしたものの、2打席ノーヒットで“貧打”に泣いた。
現在の彼は試合の前日までに相手投手のデータを揃え、当日は、3回毎に投手の配球を監督に伝える。地味な役割だが、「野球を見る眼が肥えてくる」楽しさがある。
春のシーズン2週目の対亜大2回戦、相手投手の宮本が右打者の内角を攻める配球をつかんだ。彼の情報によって東洋大の各打者はベース上にかぶさるようにバッターボックスに立つ。結果、宮本は死四球を連発して自滅。2安打で8点という“戦果”をもたらした。」

記事中の55年春の亜大2回戦は次のような結果だった。

東洋大 100 008 000  9  望月 森 ○仁村−浜田
亜 大 110 030 002  7  辻本 ●宮本 赤木 福本−田中

朝日新聞に「東洋大が六回、亜大投手陣の乱れにつけ込み、8四死球と2安打で大量8点をあげ、新人・仁村(上尾高出)の好リリーフで逆転勝ちした」と短い記事があるだけのこの試合は、甲子園では一発に泣いた仁村徹が初勝利を飾った試合でもあったのだ。その陰には甲子園で頂点に立ちながら、神宮のグラウンドには立てなかった安田さんの支えが有ったのである。




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