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zoom RSS 法政大学から逆戻りして中等野球に出場した小方二十世投手

<<   作成日時 : 2017/03/19 10:10   >>

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高校野球の歴史に少し詳しい方ならご存知かと思いますが、四大学野球リーグ(まだ立教と帝大が加盟する前の六大学)に法政大学の選手として出場していた小方二十世(おがたはたよ)投手が、大正九年の第六回全国中等学校野球大会(今の夏の甲子園大会ですが、当時は鳴尾球場)に九州地区代表の豊国中学の選手として出場した「小方事件」というものがありました。

この小方投手についてウェブで検索すると、夕刊フジのサイト“【高校野球100年 発掘・事件史】甲子園で大学生が“助っ人”登板 これ以降「18歳以下」に”や個人ブログの大学生の高校(中等)球児など数件しかヒットせず、またいずれのサイトも大学から中学に“転校”した理由などは書かれていないようなので、これまでわたくしが見てきた中で最も詳しいと思われる、森岡浩編『甲子園高校野球人名事典』の記事をご紹介いたします。

小方二十世(豊国中)
1920年におきた「小方事件」の当事者。
1901年東京に生まれる。父は明治6年に渡米して宣教師となり、のちに青山学院を創立した小方仙之助。仙之助の五男で、20世紀となった年に生まれたため、二十世と名づけられた。

青山学院中等部時代に野球を始めたが、校舎建設のためにグラウンドがなくなり、法政大学で練習をつづけた。この時、投手不足となった法政大学から声をかけられて転校し、4大学リーグ(明大・早大・慶大・法大、現在の東京六大学リーグ)で登板した(当時は学校制度や出場資格があいまいで、大学リーグに中学生が出場することはほかにもあった)。しかし、中学を卒業していないと徴兵免除とならないため、卒業資格を得るために1年間だけ福岡県門司の豊国中学に転じる。この時にエースとして九州大会を制し、’20年夏に鳴尾球場で行われた全国大会に出場した。当時は高等小学校を経由して中学校に進む選手も多く、満19歳という年齢自体は特に問題ではなかったが、前年に法政大学で登板していたことと、転校直後であることが問題となった。しかし、規則上は校長が許可すれば主催者側は従う、となっていたため、翌年からは転校後1年間は大会に出場できないように規約が改められた。
大会では初戦で鳥取中学(現在の鳥取西高)と対戦したが、直前に熱を出したためノックアウトされて途中降板した。この事件は「小方事件」として高校野球史上に残っている。

豊国中学を卒業すると法政大学に戻って法学部を卒業。さらに日本大学を卒業して国民新聞記者となり、出版社の経営などもてがけた。戦後は、宗教ジャーナリストとして独立した。満100歳を迎えた2001年、地域雑誌「川崎評論」の新世紀インタビューに元気に応じている。

なお、全国大会での登板記録は不明。
(森岡浩編『甲子園高校野球人名事典』=東京堂出版・2004年刊より)


この記述にも当時の事情を理解していないとわかりかねる部分がありますので若干補足いたします。

まず“法政大学から声をかけられて転校”で???となる方も多いかと思いますが、当時の法政大学は大学と名がついてはいますが、学校自体は専門学校令に基づく専門学校でありました。この頃の私立専門学校は正科や本科と云った名称の中学卒業生を受け入れるコースのほかに、別科などの名で中学校を卒業していない学生も受け入れておりました。
ですので、青山学院の中等部から法政大学に“転校”することが出来たわけであります。

ただ、『甲子園高校野球人名事典』でも触れているように、中学校を卒業していない専門学校の学生には当時与えられていた徴兵猶予や無試験での教員免許などの恩典が得られないため、小方二十世は再度大学から中学へ逆戻りすることにしたのであります。

豊国中学を選んだ理由はここには書かれていませんが、以前わたくしが眼にした文章では、知り合いの伝手によるもので、野球の腕を見込まれたわけでわなかったと思います(書名失念のため未確認)。

先に紹介した夕刊フジの記事中には
…この“事件”以降、大会主催者側は選手の出場資格制度の確立に乗り出す。2年後の1922(同11)年には、年齢制限を18歳以下とし、以後も留年者や落第者、外国からの帰国者らに対する制限を設けて、現在に至っている。

とありますが、朝日新聞社が昭和18年に発行した『全国中等学校優勝野球大会史』によると、二年後の第八回大会から定められた選手の資格制限は、“その年の三月に進級し得なかった生徒”と“他校から転校してきて、満二学期に達せざる生徒”で年齢に関する制限は特に触れていません。

当時の学制では尋常小学校が六年で、その後に中学校と高等小学校(二年制)の二つのコースがあり、高等小学校は中学受験に失敗した人の受け皿の役割も果たしていた為、同学年の中学生(商業や工業などの実業学校も含む)でも年齢にばらつきがあったので、年齢制限を加えるのは戦後ではなかったかと思います。

また、“他校から転校してきて、満二学期に達せざる生徒”の出場を制限したのは、小方二十世が出場した翌年の第七回大会で、岡山一中の投手が一度退学して就職したのに地区予選の直前に復学して勝ち上がってきたために物議をかもした、という経緯もあったようであります。


以前に小方二十世について検索した際には『甲子園高校野球人名事典』の記事にある、『川崎評論』掲載のインタビュー記事をウェブ上で読むことができたように記憶しておりましたが、先日たまたま確かめたいことがあって検索したところ、先の夕刊フジの記事などしか見つけられなくなっておりましたので、今回ご紹介致しました。



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