死球の筈が決勝本塁打:細川昌俊選手=東洋大野球部の歴史―人物④

細川昌俊選手の事が気になりだしたのは「個人別通算本塁打」を集計した時からである。個人で通算二桁の本塁打を記録したのはこの細川選手が東洋大では最初なのだ。以後、細川選手を含む計8名の選手が通算二桁の本塁打を記録しているのだが、他の七選手は在籍期間中一度は打撃十傑入り、或いはベストナインに選出されているのに、この細川選手だけは一度もないのである。

在籍期間 本塁打     打撃十傑ベストナイン
S58~S61 田中(泰) 13本 1回 2回
S63~H 3桧  山 13本 5回 3回
H13~H17大  廣 13本 2回 2回
H 5~H 8今  岡 12本 2回 2回
S44~S47白  川 11本 1回 1回
S47~S50若  松 11本 3回 2回
S56~S59山  口 11本 2回 1回
S41~S44細  川 10本 なし なし


細川選手は昭和四十年の第一回ドラフトで志度商の投手としてサンケイから8位で指名されている。もっともこのドラフトは初めてと言うことで、今と違い入団拒否者も多く、サンケイの場合11人指名して入団者は二人だけである。
この年の夏の甲子園の予選の記事には次のように書かれている。
全国高校野球予選の展望 北四国-香川
『(高松商、土庄の)両高に次ぐ実力を持つ志度商は土庄に匹敵する大型チームで打力があるが、頼りになる投手は細川だけなのが弱点・・・』(朝日新聞昭和四十年七月十四日付朝刊)

予選では二回戦で観音寺高に7-3(延長14回)で敗れており甲子園出場はならなかった。

大学での打撃成績を新聞記事で集計したところ次のようになった。(昭和41年は二部リーグの為不明である)

打数安打打点本塁打三塁打二塁打打率 長打率
S42春 42 7 1 0 0 3.167 .238
S42秋 48 12 7 2 2 1.250 .479
S43春 54 14 5 1 0 2.259 .352
S43秋 42 8 10 3 0 1.190 .429
S44春 54 12 5 3 0 3.222 .444
S44秋 35 3 2 1 0 0.086 .171
通算 275 56 30 10 2 10.204 .364


昭和四十四年春のリーグ戦、対芝工大二回戦では二打席連続本塁打を放っている。
『―突風に逆らって―
二打席連続ホーマーを放って東洋大に勝利をもたらした細川昌俊中堅手は「二本ともはいる思った。今はボールがよく見えるので、ねらっていたんです」とニコニコ。細川は昨秋、バックスクリーン後ろのコンクリート・スタンドにリーグ史上初といわれる大ホーマーをたたき込んだ快腕の持ち主。この日も二本目の本塁打は南十メートルの突風を突っ切って飛んだもので、ネット裏で観戦した武宮・巨人コーチなどプロ野球のスカウトたちも驚いた表情。』(読売新聞昭和四十四年四月十日付朝刊)


この年の秋のシーズンでは対駒大三回戦で2-2の同点で迎えた8回裏に決勝本塁打を放っているの。

9/19 駒沢大三回戦 神宮
駒沢大 000 000 020  2 34 11 2 4 0 1 0 6 1 0
東洋大 010 001 02X  4 31 9 4 4 1 0 0 4 0 0
(駒)小野4 1/3回4安1責・行田1 1/3回3安1責・小山1/3回0安0責・●湯川2回2安2責ー和久田
(東)○下田9回11安2責ー柴原
本塁打:細川(東)三塁打:白川(東) 二塁打:富川2(東)内田(駒)


この本塁打には次のようなエピソードが…。
『―“幸運”の二点本塁打-
○・・東洋大、細川の決勝2ランが出る寸前、ファウルか死球かで細川と大塚主審の間でちょっともめた。駒大・湯川投手の二球目は細川の手元に当たってはね返り、大塚主審の宣告は「ファウル」。これに細川は「バットに当たったのではなく、にぎっている手に当たった。死球だ」と食いさがり、ベンチから野本監督も出て、約三分間試合が中断した。結局、細川の「死球」は受けいれられず、カウント1-1で再開したが、次の三球目がバックスクリーン左へとび込む大ホームランとなった。試合後、細川は左手にできた血マメをみせながら「このとおり手に当たったんですが、審判は“バットに当たってから”といったんです。でも死球でなくファウルでよかった」と殊勲打に大喜びだった。』(毎日新聞昭和四十四年九月二十日付朝刊)
このホームランが通算十本目となったのだが、調べてみるとこれが大学最後の安打となっている。このあと三カードが残っていたのだが、ホームランどころかヒットもなく終盤にはスタメンも外されてしまっている。筆者の推測だが、“死球”による怪我がその後のバッティングに影響してしまったのではなかろうか。四年秋のリーグ戦が打率一割にも満たずに終わってしまったのはなんとも無念であったことだろう。

細川選手はその後西濃運輸に入社し、昭和四十七年の都市対抗野球で三試合連続本塁打を放ち小野賞を獲得している。(チームは準決勝敗退)
『「監督さんから知らされたときは本当にびっくりしました」。賞を手にした細川は、まだ実感がわかないようす。
代わって柴垣監督が自分が受賞したように満面にうれしさを浮かべて話す。「最初の打席で本塁打を放ち、すっかりペースに乗りました。三試合連続ホーマーなど本人も思ってなかったでしょう。明るい性格で練習もよくするし、若手の見本です」。
監督にシリをたたかれ、細川がやっとしゃべりだした。「後楽園にやってきてからの調子は、まあ、まあ普通でした。三振が少なくなった(三試合で一本だけ)のが打てた原因だと思います。勝ってこの賞をもらいたかったなあ」。話しているうち、細川の真っ黒に日焼けした顔から白い歯がのぞいた。身長181センチ、体重74キロ。』(毎日新聞昭和四十七年八月七日付朝刊)


この活躍が認められ細川選手は、この年ニカラグアで開かれた第二十回アマチュア野球世界選手権に出場、社会人野球ベストナインにも選ばれている。

尚、都市対抗で三試合連続本塁打を打った際、三試合目の相手は電電東京、投手は同じく東洋大出身の内田正美投手であった。
両者はともに昭和五十一年の第四十七回都市対抗野球で十年連続出場表彰を受けている。



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