番外編:中等野球にもあった「東京」vs「東都」

一昨日(7月10日)高校野球西兵庫大会で東洋大姫路が初戦で敗退してしまった。プロ注目の佐藤投手を擁して選抜でもベスト4まで勝ち進み、“夏こそは”、の期待も大きかっただけに残念である。

ところで、10日の各地の予選の結果を見ていて、東洋大に縁のある高校が三校敗退していることに気がついた。

西兵庫大会
北  条 4-0東洋大姫路

東東京
学習院29-0京北白山

青森
鶴  田 7-3南部工


東洋大姫路は昭和三十六年に姫路市が私立高校を誘致しているのを受けて東洋大学校友会姫路支部が大学へ建議書を提出し、翌年大学理事会で設置が決まり昭和三十八年の開校した。播磨工業地帯の中心都市である姫路市側は工業高校の進出を望んでいたそうだ。その為当初は開校後に工業系の短大か専門学校を作る計画も有ったという。

京北白山高校(旧京北商業)は京北高校と共に東洋大学の学祖井上円了が設立した。(京北商業は明治四十一年京北実業として、京北高校は明治三十二年旧制京北中学として開校)昭和二十六年に別々の学校法人になるまでは東洋大学財団傘下にあった。

南部工業は県立高校だが、かつて在った東洋大南部高校の校舎を使って開設された高校である。東洋大南部高は三戸教育委員会事務局長が東洋大出身であったことが契機となり、姫路高と同じく昭和三十八年に開設された。
しかし、開設間もない昭和四十一年頃から通学圏内の中学卒業者が暫減期に入り、昭和五十二年に閉校となった。校舎などは青森県に移管され三年後に八戸工業南部分校として開校、昭和六十年から南部工業高校となった。

(以上、『東洋大学百年史』と南部工業HPを参考にしました)


旧制京北中学は「戦前③文化学科」で触れたように大正九年の京浜中等野球大会(夏の選手権の予選。まだ甲子園はなかった)に参加しているが、この京浜大会は大正十二年から東京が単独で代表を出すことになり、「東京中等学校野球連盟」主催の東京大会として行われるようになる。
ところが、この「東京」連盟は新規の加盟を認めず、加盟校以外のチームとは練習試合さえも禁止していてことから、その後の新設チームから不満が起こり、昭和四年に攻玉社中や赤坂中(のちの日大三中)が中心となって「東都中等学校野球連盟」を結成する。昭和四年といえば日大と國學院が六大学リーグ加盟を求めて予備試合を行った年だが(「戦前⑩昭和六年」参照)、中等野球では一足早く「東都連盟」が結成されていたわけだ。
この年の選手権代表は従来通り「東京連盟」の優勝校が代表となったが、「東京連盟」の閉鎖的な態度に憤った早稲田大学OBの河野安通志が仲介に走り、翌昭和五年は両連盟の優勝校による代表決定戦が行われ、「東京」の慶応普通部が2-0で「東都」の早稲田実業を破って代表となった。(早稲田実業は「東都」が結成された年に連盟に無届けで秋田遠征をおこなったとして出場停止にされたたため「東京」を脱退、「東都」に加盟していた)
更に翌昭和六年には両連盟は合同し「東京府中等学校野球連盟」となり、中等野球の「東都」は二年で消滅となった。合同時の加盟校は次の三十三校である。

旧東京
豊島師範・東京中・立教中・早稲田中・学習院中・大成中・高輪中・慶応普通部・慶応商工・京北中・京王商・麻布中・青山学院中・明治学院中・明治中・目白中・目白商・成城中・成立商。
旧東都
郁文館中・日大中・日大二中・日大三中・保善商・東洋商・中央商・立正中・早稲田実業・暁星中・京北実業・名教中・専修商・攻玉社中。


*戦前の中等野球については『白球譜-東京都高校野球のあゆみ』都高野連を参考にしました。

*もう一つの付属校、東洋大牛久は姫路より一年遅れの昭和三十九年開校。牛久市で統廃合された中学校の跡地に高校誘致の住民運動がおこり、牛久市在住の経済学部助教授の仲介により東洋大の付属校が設置されることになったそうだ。


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