番外編:林芙美子と“東洋大生”

所用で西部新宿線中井駅を利用したので、以前からちょっと気になっていた「林芙美子記念館」を見てきた。もっとも月曜日で時間も六時近かったので、今日は場所だけ確認し後日改めて見学するつもりである。

林芙美子記念館画像






















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林芙美子と言うと「放浪記」のように職を転々とする苦労人をイメージしてしまうが、この記念館は既に女流作家としての地位を確立していた昭和16年に建てられたもので、立派なお屋敷である。知っていたとはいえ休館日に来てしまったのが悔やまれる。

林芙美子と東洋大生
大正11年に上京した林芙美子は大正13年に同棲中だった新劇俳優で詩人の田辺若男に白山の南天堂書店二階のレストランにたむろしていた岡本潤・萩原恭次郎・辻潤らのアナーキスト詩人を紹介された。
田辺に女優の愛人がいることを知った林芙美子は、東洋大生で詩人のKと本郷の下宿屋で同棲、その後詩人の野村吉哉と知り合い野村の下宿に引っ越してしまう。『日本の文学・林芙美子』(中央公論社)の月報の中で平林たい子は壷井栄との対談で「・・・詩人のK氏だけは、芙美子さんが捨てたのです。ほんとうに不思議ですね。芙美子さんにかかわった人の中ではいちばん優れていました。いまは市井に埋もれていますが、その人とだけは非常に残酷な別れ方をしました」と語っている。

この年林芙美子は友谷静栄と『二人』という詩のパンフレット(一枚の紙に両面刷りし二つ折りにした四ページのもの)を創刊する。資金を援助したのは詩人の神戸雄一である。同じKの頭文字だが『南天堂』(寺島珠雄)には「神戸は友谷静栄に恋していたが報われず、それでも豊かな小づかい銭を割く侠気をみせたのである。」とあり、東洋大生のKとは別人のようだ。神戸は宮崎県の資産家の長男で大正九年に東洋大に進学したが中退した文学青年である。(参考:宮崎の101人ー神戸雄一

友谷静栄はこの頃千駄木・団子坂の途中の下宿屋で岡本潤(詩人・東洋大中退)と同棲していた。岡本潤はすでに家庭を持っており長くは続かず、その後友谷は小野十三郎(詩人・東洋大中退)と六年間共に暮らす。

岡本潤によれば「同じクラスに、小柄で色の白い、無口で聡明な感じのする青年がいたが、在学中、おたがいに言葉を交わしたことはなかった。それが小野十三郎だったと知ったのは、ぼくらがふたりとも東洋大学を中退して、二、三年後に、いっしょに文学運動をやるようのなってからのことである。」(『詩人の運命-岡本潤自伝』岡本潤)とのことだ。
一方、小野十三郎は『岡本潤全詩集』に寄せた献詩「一夜の回想」で
深夜に降っている
雨の音を聞きながら
いま、君のことを考えていたら
「万物のはじまりは火である」
というターレスの言葉が浮かんだ。
それはもう半世紀も昔になるなア。
白山上の大学の教室で
出隆先生のギリシャ哲学の講座にはじめて出たとき
先生の口から出た第一声だった。
きみはあのときいたか。
きみの姿を最初に見たのは
あの白山上の大学の教室だった。
ある日。
あとからおくれて入ってきた青年が
私のそばを通るとき
ジロリと見て
最前列の椅子に坐った。
岡本よ、きみだった。

と詩っている。


以上、同棲の話ばかりになってしまったが、これから季節は“読書の秋”。図書館に行ったら過去の縮刷版のスポーツ欄だけでなく、文学書をひも解いて母校の歴史に思いを馳せるのもまた一興かと思った次第である。


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