神宮大会のさきがけ、“明治百年記念明治神宮野球大会”

*平成29年11月12日更新=平成21年1月にUPした際は大学の部のみを記事に致しましたが、高校の部と社会人の部の結果も追加いたしました。

昨年、東洋大学が優勝した第三十九回明治神宮野球大会(神宮大会)は“明治維新百四十年”のサブタイトルが冠せられていた。神宮大会が始まったのは昭和四十五年、明治神宮鎮座五十年の年からだが、その二年前の昭和四十三年には”明治維新百年”を記念した野球大会が神宮球場で行われている。
この大会の大学の部は八つの連盟の選抜チームが参加して昭和四十三年十一月一日から四日間の日程で開催された。東洋大学からは細川昌俊・柳瀬整の二選手が出場している。 (他に11校参加の高校の部と社会人の部・全東京対全神奈川が行われた)

明治百年記念野球大会
昭和43年11月1日~4日:於神宮球場

11月1日:一回戦
神奈川五大学000 001 000  1
関西六大学002 040 00X  6
(神)久玉・片岡-村越
(関)小島・植木-浜田・梅村

東京六大学020 146 105  19
広島六大学000 001 000  1
(東)橘谷・小坂・上岡-田淵・阿野
(広)吉野・井上・於東・金子・仁田ー西本
本塁打:谷沢(東)

11月2日:一回戦
九州六大学000 100 000  1
東都大学011 112 01X  7
(九)河野・田中・薬師寺・高比良-佐藤・浦口
(東)芝池・西尾・野村-水沼
本塁打:長井(東)

九州六大学東都大学
(三)伊藤北九州大(左)戸塚専修大
(二)深町八幡大打一塩多駒澤大
(右)三代北九州大(二)長井駒澤大
打右藤井久留米大(右)内田駒澤大
(一)二益永八幡大(遊)大橋亜細亜大
(左)中村八幡大(中)萩原中央大
(右)一西鶴福岡大(捕)水沼中央大
脇山西南学院大(一)田辺亜細亜大
(中)石村福岡大野村駒澤大
(捕)佐藤北九州大(投)芝池専修大
浦口福岡大走三末永中央大
(投)河野八幡大(三)柳瀬東洋大
田中西南学院大西尾亜細亜大
薬師寺八幡大打一大矢駒澤大
高比良福岡大
(遊)宮地福岡大
313917


首都大学200 300 000  5
愛知大学000 000 000  0
(首)上田-岡田
(愛)富田・河村・清水・榎本-近藤

11月3日:準決勝
東京六大学100 000 010  2
関西六大学000 000 000  0
(東)山中-田淵
(関)久保田・植木-梅村
本塁打:荒川(東) 二塁打:田淵・山中(東)

首都大学300 001 000  4
東都大学000 201 000  3
(首)渡辺孝・上田-岡田
(東)池田・本田義・野村・芝池・西尾-水沼

首都大学東都大学
(二)相本東海大(左)戸塚専修大
(右)渡辺里東海大打左塩多駒澤大
打右鈴木東海大(二)長井中央大
(中)阿部東海大(右)内田駒澤大
(左)栗原東海大(遊)大橋亜細亜大
(捕)岡田東海大(中)細川東洋大
(三)山脇東海大(捕)水沼中央大
(投)渡辺孝東海大(一)萩原中央大
上田東海大(投)池田芝浦工大
(遊)小川東海大田中芝浦工大
本田義中央大
大矢駒澤大
野村駒澤大
田辺亜細亜大
芝池専修大
柳瀬東洋大
西尾亜細亜大
(三)末永中央大

3333

 “本家に勝ったぞ” 
-宿願果たした東海大-
~混成東都のもろさつく~
○・・・首都大学選抜が東都大学選抜を破った。選抜とはいっても、首都は出場した選手が全員東海大で、単独チームであった。この東海大、かつては東都大学の加盟校。いわば東都の分家のリーダー格だが、東都時代は最もレベルの低い四部校で、花やかな一部にくらべれば月とすっぽんのような存在だった。それがこともあろうに、たばになってかかった東都の一部校をひねってしまったのだから、首都関係者の喜びはひとしお。
○・・・特に松前連盟会長(東海大総長)は、来るべきものが来たといった得意顔で「リーグを育てたかいがあった。伝統のある学校でなくても、努力すれば強くなるということが、これでわかってくれたと思う。そういう意味でも首都連盟をつくったのは成功だった」と言い、「うれしいね。東都に勝ったのは・・・」とつけ加える。
○・・・一方敗れた東都の関係者は、だれも口びるをかみしめてくやしがる。指揮をとった芝工大の新谷監督は「私の投手起用の失敗が原因で、東都のかたがたに申しわけないことをしてしまった」とうなだれる。ネット裏で観戦の駒大小林監督は「混成チームにありがちなもろさが守備に出て負けた。仕方がないことだ」と新谷監督に同情していた。本家が分家に敗る―「停滞気味の東都にとって、これはいい薬だ」という見方をする人もいた。
(『朝日新聞』昭和四十三年十一月四日付朝刊)


11月4日:決勝
首都大学000 000 010  1
東京六大学000 000 000  0
(首)上田-岡田
(東)星野・橘谷-田淵

首都大学東京六大学
(二)相本東海大(三)二富田法政大
(右)上本日体大(左)島村慶応大
鈴木東海大(中)谷沢早稲田大
(中)阿部東海大(捕)田淵法政大
渡辺里東海大阿野早稲田大
(左)栗原東海大(右)山本法政大
打左林田東海大(遊)佐藤法政大
(捕)岡田東海大(二)秋山立教大
(三)山脇東海大打三野々山立教大
(一)谷口東海大(一)小田早稲田大
(投)上田東海大打一成田慶応大
(遊)小川東海大(投)星野明治大
広野東海大小野寺明治大
葭本日体大橘谷東京大
山極東海大
2930

満四歳のハプニング
○・・・首都大学リーグが誕生したのは三十九年秋。たったの“満四歳”で古いノレンを誇る東京六大学を破った。それが準決勝の東都大学選抜に次いで田淵(法)谷沢(早)らソウソウたる顔ぶれをそろえた六大学を倒したのだから、よほどうれしかったらしい。日ごろ日の当たらぬ場所にいるだけに、優勝が決まると岩田監督(東海大監督=旧姓二瓶、明大出)と3安打完封の上田投手(和歌山・南部=みなべ=高出)を胴上げし、スタンドからは紙吹雪と大歓声がわくほどの興奮ぶりだった。
  六大学の石井監督(早大監督)は「首都は強いとは思わないが、しかし投手はよかったな。とにかく打てなかったんだから」と首をひねっていたが、一方の岩田監督は「波に乗ったんです」と喜びをかみ殺してたんたんと語る。その背後では上田投手が「田淵も谷沢もほかの選手と変わりなかった」と軽く快投の弁を語っていた。
(『毎日新聞』昭和四十三年十一月五日付朝刊)

○・・・首都の完勝である。上田は強打の六大学を全く寄せつけなかった。最近の大学球界で彼ほど制球のいい投手は珍しい。下手投げ特有の浮き上がる球、落ちるシュート、それに鋭いカーブを捕手の要求通りに投げわけた。六大学は田淵の3三振を含み、13の三振。最後まで的をしぼれなかった。・・・中略・・・最初から必死にボールと取り組んだ首都。六大学ベンチにはいつも笑いがあった。勝負は気力の差でもあった。
(『朝日新聞』昭和四十三年十一月五日付朝刊)

各紙ともなかなか辛辣な記事で、特に朝日新聞は翌々日の七日にも“慢心の敗北?六大学”という囲み記事を掲載したほどである。
もっとも当時の六大学選抜は田淵・山本・富田の法政三羽ガラスに早大・谷沢、明大・星野仙一とスタメン9人の内5人が後にドラフト一位でプロ入りした、名実ともにスター軍団だったのである。それが、日体大の二選手を加えただけの、ほぼ東海大単独チームと言っても良い“首都大学選抜”に敗れたのだから無理もない。

東海大は翌年の大学選手権でも日大を破って初優勝し、エースの上田投手はドラフト一位で阪神入り、さらに昭和四十五年の第一回明治神宮野球大会でも初代王座に就いた。

地方リーグの隆精も目覚ましい今日の大学野球界だが、明治維新百年記念明治神宮野球大会はその出発点とも言える大会だったのである。

*当時の東海大・松前総長は「伝統のある学校でなくても、努力すれば強くなるということが、これでわかってくれたと思う。」とコメントしているが、エースの上田投手より一学年下で大阪学院高時代に東海大進学が内定していながら、その後ドラフト一位で阪神入りした江夏豊投手は、東海大が提示した進学時の条件はチームメイト数人の抱き合わせ推薦入学と“家一軒”であったと後に明かしている。(『牙 江夏豊とその時代』後藤正治)
努力の仕方もいろいろである。



高校の部
代表校..........地区
釧路一北海道
三沢東北
銚子商関東
日体荏原東京
富山北部北信越
三重中部
大鉄近畿
岡山東商中国
松山商四国
小倉九州
首里沖縄


11月1日
日体荏原100 012 100  5
松山商 100 110 001  4
(日)大石ー岡田
(松)中村ー大森
三塁打:福永(松) 二塁打:足立・反町(日)平岡(松)

岡山東商000 000 001  1
富山北部000 010 001x  1
(岡)水田ー門永
(富)八川ー中島
三塁打:菊池・佐々木(岡) 二塁打:八川2・栗林(富)

銚子商000 100 000  1
小 倉001 000 13X  5
(銚)遠藤・窪田ー永井
(小)円川ー楠城
二塁打:吉村・円川・楠城・小石(小)

11月2日
日体荏原421 000 000  7
大  鉄010 102 000  4
(日)大石ー岡田
(大)永野ー児玉
三塁打:川島(日) 

釧路一 000 000 000  0
富山北部102 000 00X  3
(釧)長谷川ー舟木
(富)藤田ー中島
二塁打:中島(富)

三 重000 000 000  5
三 沢002 100 20X  5
(重)上西・伊藤ー中田
(沢)太田ー河村
三塁打:大田(沢)

首 里000 300 000  3
小 倉240 203 02X  13
(首)謝敷ー屋比久
(小)円川・石井信ー楠城
三塁打:吉岡(小) 二塁打:吉岡・楠城(小)本若(首)

11月3日
日体荏原010 010 011  4
富山北部000 000 000  0
(日)大石ー岡田
(富)八川ー中島
三塁打:反町(日) 二塁打:山崎・小杉(日)大間知(富)

三 沢000 000 010  1
小 倉020 101 00X  4
(三)太田ー河村
(小)円川ー楠城
三塁打:大田・八重沢(三)田浦(小) 二塁打:楠城・尾石・円川(小)


11月4日
日体荏原000 100 041  6
小 倉 100 000 040  5
(日)大石ー岡田
(小)円川ー楠城
二塁打:岡田・深沢(日)吉岡(小)


社会人の部
11月3日
全東京 001 000 033  7
全神奈川000 000 000  0
(東)吉村(リッカー)安藤(鷺宮)・藤津・長野(熊谷組)-八木(リッカー)大野(鷺宮)
(神)山口(鋼管)佐伯(いすゞ)中村順(東芝)-山内(いすゞ)中村正(東芝)
本塁打:五味(東・電電東京)




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この記事へのコメント

チャリンコダンディー
2011年09月17日 11:27
明治維新百年記念野球大会の記事を探していました。この大会に広島六大学の一員として参加、先発のマウンドに上がりました。自分の名前を見つけ、非常に懐かしく昔を思い出しています。
2011年09月17日 22:29
>チャリンコダンディー様。
コメントありがとうございます。
先発のマウンドに上がったなんて凄いですね!当時の“法政三羽烏”や早稲田の谷沢健一選手と対戦したわけですね…!
拙い記事ですが当時の選手の方に少しでも喜んでいただけて何よりです。
よろしければ時々覗いて見てくださいませ。
御訪問ありがとうございました。

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