Wikipedia・池中康雄さんの項に関する疑問点=幻の五輪代表?

*先日、リオデジャネイロで行われるオリンピックのマラソン代表に東洋大OBの北島寿典・石川末廣の両選手が選ばれました。東洋大出身選手としては初めてのことであります。

この記事は2015年10月にUPしたものですが、オリンピックのマラソンに関連するので再度トップに上げることに致しました。



先日UPした昭和10年にマラソンの世界最高記録を出した池中康雄さんの東洋大学在学年についてをまとめるにあたって、過去の新聞記事や『運動年鑑』などとともにWikipediaも覗いてみたのですが、その中で一点疑問に思ったことがあります。

Wikipediaの中には「幻の五輪代表」という項が設けられており、
…ベルリンオリンピックマラソン最終選考会ではまさかの途中棄権。ベルリンオリンピックの次に開催されることになった1940年東京オリンピックでは、危なげない走りで再度マラソン代表の座を射止めたが、第二次世界大戦の影響で東京オリンピックが開催権返上、そして代替開催となるはずだったヘルシンキオリンピックも中止となり、オリンピックには出場できないまま、現役を引退した。このことから「幻の五輪代表」という異名で呼ばれることもある。
『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 池中 康雄

と書かれています。

1940年に開催される予定だった東京オリンピックは日中戦争の影響などで1938年の7月に返上が決まっています。
また、代替地として決まったヘルシンキでの開催も、第二次大戦の勃発により1939年に中止が決定しています。

この、“危なげない走りで再度マラソン代表の座を射止めた”レースっていつどこで行われたのでしょう?。

当時の『運動年鑑』などを見ても代表選考会が行われてといった記事は見当たりませんし、主だったマラソンレースの上位入賞者の中に池中さんのお名前は見つかりませんでした。

また、東京の前に行われたベルリンオリンピックでは日本からマラソンには三名の代表が出場しています。
もし、実際に代表選考が行われていたのなら、池中さんの他にも複数の“幻の五輪代表”が存在するのではないでしょうか。

残念ながら、この項の記述は極めて怪しいものと見做さざるを得ません…。

(この項に限らずWikipediaの東洋大に関連する項目にはろくに調べもせずに、思い込みだけで勝手に書かれているような記述が幾つか見受けられます。)



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