昭和初期の東洋大野球部

以前、図書館で見つけた『校友会報』116号(発行年を写し忘れてしまいましたが、昭和五十年代前半に発行されたもの)に掲載されていた投稿記事・「五十年前の野球部」をご紹介いたします。

執筆者の方は昭和三年~六年に専門部(三年制)倫理学東洋文学科に在籍されていた方ですので、今からですと約九十年前になります…。

もう、五十年も前のことなので、その頃の記憶はすっかりうすれていて、それを呼びさますのに一苦労するほどの老境になってしまった。
一年に入学して登校した当日、図書館前で入部届を出して野球部の一員として練習に参加することになった。
球場は、都心から遠く離れた埼玉県(ママ)の東大泉村にあった。どこかの会社の持物だとか。だから練習にでかけるにしても、巣鴨から池袋、池袋から西武線にのりかえ東大泉で下車、そこから駅前のタクシーを駆って球場へやっと辿りつくといったあんばいであった。
その当時の池袋駅は、今のローカル線の田舎駅とさほど変わらないほどの駅で、人影もまばらであった。池袋を出て二、三駅走ると窓外の景色は一面の田畑のひろがる田園風景に変わってしまい、処々に防風林に囲まれたわらぶきの田舎屋が点々と頭をのぞかしているだけだった。
奈良の山国から出てきたばかりの田舎者の私には、武蔵野の広大な風景がひどくめずらしく感じられた。

            ◇      ◇      ◇

合宿は春秋二回きまって行われた。宿は駅に近い民家。おばさんと二人の娘との三人暮らしで、そこに荒くれ男が十数人泊まりこんだ。娘たちとは兄妹のようにいとも仲良くはしゃぎまわった。
練習は、バッティング、シートノックで始まり、ベースランニングで終わるという定石どうりのものであった。
監督もコーチもいない全く自主的な練習で、鍛えられる野球の味は知らなかった。しかし、自主的な練習の中で得た経験は今も私の中に学生時代の楽しい思い出として生き続けている。

そんな自由気ままな野球部であったが、学友会の承認を得て、予算ももらっているれっきとしたクラブであった。だから部長だけはいた。しかし、それもほんの名前だけで、球場に顔を出されたこともなければ、学校でお会いしたこともなかった。ところが何かの時、二、三人の球友と連れだって、世田谷(たしか、世田谷と覚えているが定かではない)の先生宅を訪ねたことがあった。先生は英文学者の田部重治先生で、その時どんなことを話し合ったかは覚えていないが、お住まいは郊外特有の質素なトタン葺きのお家で、六畳ほどの洋風の書斎で小一時間ほどお話を伺って帰った。野球部の部長になられたのも全く無縁ではなかったのか、書斎の棚に飾りバットにのせられた白い球のあったことだけははっきりと覚えている。先生にお会いしたのは後にも先にもその時一回きりで、親しくそのお人柄に触れる機会もなかった。が、教鞭をとるようになって、教材の中で『笛吹川をさかのぼる記』に接して、あの痩せ方の小柄な先生が、当時有名な登山家であり、文学者でもあったことを知ったわけで、誠に勉強不行き届きの学生であったことを後悔している。

合宿中の日曜日はよく練習を休んで部員一同連れだって武蔵野をあてもなく遥ったものである。これというあてもなく、何を語りあうというわけでもなく、足の向くまま、気の向くままに雑木林をぬって歩き続けたものである。

   若葉もる日かげをぬいてわれゆけば 武蔵野原に初蝉ぞなく

これは、春の合宿、もう初夏をむかえた頃の拙作で、これを詠みかえしていると、そうした散策の日の感傷がよみがえってきそうな気持にとらわれる。

合宿の近辺には、人家はまばらで、ただ駅前広場のはずれを右折したあたりに数軒の木造の新しい家が立ち並んでいた。
われわれは、夕食のあとタオルをぶらさげて、銭湯に出かけるのが合宿中の楽しみの一つでもあった。日の高いうちに出かけた時は浴場に人影もなく、われわれの独壇場で、無邪気ないたずらをして騒ぎあったものである。

ある時、先輩たちが、合宿中の禁を破って飲みに出かけたことがあった。彼らは入浴後、こっそり飲み屋の奥座敷に陣取って、いとも静かにちびりちびりと飲み始めたわけだが、酔いのまわるにつれてはめをはずして歌い出したらしく、秋の夜風にのって、その歌声が合宿まで聞こえてきたのである。時々合いの手に敲く太鼓の音さえ流れてくる。そこで、われわれ下級生は禁を破った先輩たちに、退部届を出してその責を問うことに決めたのだが、そこはそれ、平素から気の合った同志のこと、その夜のうちに自然に消滅して、翌日にはわすれたように仲良しになっていた。

            ◇      ◇      ◇

入学の年の秋、京都に遠征した。龍谷大と立命館の二校が相手校であった。われわれは東京駅を夜行列車で出発した。幸いなことに東京公演を終えて帰阪する宝塚歌劇団の一行と同車することができた。あの袴姿の美女達にとり囲まれた夜行列車の一夜は花火のような美しい思い出の一つであった。

龍谷大との試合はその校庭で、立命館大との試合は、関西六大学の雄というわけで、京都唯一の球場である緑ヶ丘球場で華々しく一戦を交えることになった。京阪四条の駅前には墨痕鮮やかに「東都の雄 東洋大学対立命館大学」と大書した立看板が立てられていた。試合はどんな結果になったかはっきりした記憶はないが、相当なひらきで破れたことだけは覚えている。
その時の私は、試合の結果よりも、故郷へ帰ることができるということに期待を持っていたので、負けたことには何の痛痒も感じなかった。私は早速チームの人々と別れて関西線を利用して和歌山県境に近い山と川のある古里に帰り、二、三日して帰京した。
しかし、チームの一行は、伊勢参りなどして関西の秋を楽しんでいたとかで私の後に帰ってきた。今と違って何とものんびりした合宿生活であり、遠征であったことかと思う。

(『東洋大学校友会報』116号所収「五十年前の野球部」)


以前にも取り上げましたが、関西への遠征は昭和四年の六月で、“入学の年”とあるのはご本人の記憶違いと思われます。
試合結果については、『時事年鑑』昭和六年版の運動競技欄に「其の他主要試合」の結果として龍谷大学戦のみ“龍谷大学6-2東洋大学”との記載があり、試合場は龍谷大ではなく大谷大学のグラウンドで行われたようです。

国立国会図書館デジタルコレクション:『時事年鑑』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1076256/261

また、部長の田部重治の住まいは、当時の名簿を見ると世田谷ではなく杉並区阿佐ヶ谷でありました。


『校友会報』111号に掲載されている「東洋大学スポーツの現況を語る」という座談会では、戦前の運動部について下記のように語られています。


(陸上部についてひとしきり話された後)
伊賀上…私たちの入学当時は柔道部、剣道部、野球部、庭球部といった部があったくらいでしょうか。
野球は、東洋、大正、駒沢の三校でよくやってましたが“なんだ坊主ばかりじゃないか”なんていったも
んですよ。
司会あとは弓道部、空手部なんかも古いところでしょうか。
伊賀上弓道部はありましたが、まだまだだったですね。あ、それから乗馬部もありましたね。
司会部としてはだいたいそんなところだったんでしょうかね。しかし、それの施設面とか学生の応援なんか
はどんな風にやっていたんでしょうか。
兼頼今の講堂の所に柔道、剣道なんかの道場がありましたね。あと、だれでもできるバスケットのコートが
ありましたね。野球部の方は新井薬師の方でやってたと記憶していますが…応援の方は、紋付き、袴
の出で立ちでやっていましたが剣道、柔道がやっぱり主体でしたね。陸上の方も“駅伝”の時には、ト
ラックに乗って声援に来てくれたこともありましたが。当時は何といっても文科の単科大学ですから地
味でしたよ。
伊賀上今と比べたらとても考えられないですよね。スポーツもただ好きな者がやっているという形ですからね。
兼頼まだ大学の中で組織的に位置づけて、云々という所まではいってなかったわけで、金銭的にも個々人
の寄付だとか、働きかけが主体でしたからね。
*伊賀上氏は昭和五年卒、昭和三十年から三十三年まで校友会事務局長
兼頼氏は昭和十年卒、箱根駅伝初出場時の一区走者で、のちに陸上部の監督も務める



「五十年前の野球部」の筆者の方の在学中には、昭和四年に東洋大・駒澤大・大正大 三大学リーグ戦も行われたいましたが、記事の中では触れられていません。座談会で兼頼氏が言うように、“ただ好きな者がやっている”、だけの運動部というよりも同好会のような形態で、試合の勝ち負けにはさほど執着もなかったのでしょうか。

いまやネット上では一年中、野球をはじめ大学スポーツの結果にあれやこれやの大騒ぎ(もっともわたくしもその一人ではありますが…)の時代ですが、「五十年前の野球部」からは…おそらくはすでに故人となられているであろう…筆者の方のささやかな、しかしご本人にとっては大切な思い出に、何とも表現したい味わいを感じるのであります…。


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