箱根駅伝に出場した東洋大学の戦没者

*2019年5月31日更新:護国会報の記事画像を追加いたしました。

東洋大学における戦没者は2014年の時点で203名がわかっており、同年に発行された校友会120周年記念誌『東洋の軌跡』にその一覧が掲載されておりますが、戦前の箱根駅伝の記録などを調べているうちに、出場者の何名かがそこに記載されていることに気づきました。


宮芝義廣
昭和8年1月 第14回箱根駅伝 7区 11位:1時間28分02秒
昭和10年1月 第16回箱根駅伝 4区 13位:1時間28分12秒
昭和10年3月 専門部東洋文学科卒業
昭和19年2月20日 ニューギニア

森藤加之
昭和11年1月 第17回箱根駅伝 8区14位:1時間36分24秒
昭和12年1月 第18回箱根駅伝 2区7位:1時間10分21秒
昭和12年3月 専門部倫理学東洋文学科卒業
昭和16年3月3日 中華民国徐州

安藤文英
昭和12年1月 第18回箱根駅伝 3区7位:1時間22分18秒
昭和14年3月 専門部東洋文学科卒業
昭和20年7月2日 フィリピン・レイテ島

……鶴見を4位で出た専修・斉藤選手は、後続の中大・若江、東洋大・森藤の後塵を浴びた……
……5位の立教・紅野選手と6位の東洋大・安藤選手は大接戦を続けて進んだが、藤沢の街に入って間もなく立教が競り勝った……
(『箱根駅伝70年史』第18回大会の項より)

安城敬二郎
昭和14年1月 第20回箱根駅伝 9区8位:1時間30分20秒
昭和15年1月 第21回箱根駅伝 9区6位:1時間22分18秒
昭和15年7月 宮崎、橿原、明治神宮間奉祝繼走
昭和16年3月 専門部倫理学国漢科卒業
昭和19年3月25日 ボーゲンビル島名キナ(ママ)

高瀬登
昭和15年1月 第21回箱根駅伝 2区6位:1時間14分12秒
昭和15年5月 第22回関東学生対抗選手権第三部 800m4位
昭和15年7月 宮崎、橿原、明治神宮間奉祝繼走
昭和16年1月 第1回東京・青梅間大学専門学校鍛錬競争 4区6位:35分26秒(6哩=9.66㎞)
昭和16年5月 第23回関東学生対抗選手権第二部 800m6位
昭和16年11月 第2回東京・青梅間大学専門学校鍛錬競争 2区(記録不明)
昭和16年12月 専門部拓殖科卒業
昭和19年6月15日 ブーゲンビル島・ママガタ



昭和15年の“奉祝継走”は東洋大の学生が独自に取り組んだもので、当時の新聞記事は下記のように伝えています。
宮崎-橿原-東京間
東洋大學陸上競技部では紀元二千六百年奉祝記念事業として夏季休暇を利用し宮崎-柏原-東京間約二千五百キロの駅傳走破を決行、期日は廿五日から八月七日に至る二週間で参加十走者が毎日一區間づつリレーする。(『讀賣新聞』昭和十五年七月十四日付朝刊)

東洋大學奉祝繼走終る
東洋大學陸上競技部主催の宮崎、橿原、明治神宮間奉祝繼走は七日朝平塚から東京に向けて最後の走者が出發、午後一時二十八分無事品川神社前に到着したが、此處で汽車によって先着した池中、武智、石本、高岡、安城、高瀬、金光、渥美、小川、原の全選手が打ち揃ひ、共に走って日枝神社に参拝した後午後四時明治神宮に到着大繼走を無事終了した。(『朝日新聞』昭和十五年八月八日付朝刊)


昭和9年の第15回箱根駅伝の7区に出場した田中栄次氏(昭和11年専門部倫理学東洋文学科卒)は、平成元年発行の『箱根駅伝70年史』の中で次のように当時を振り返っています。
若き日の箱根駅伝
箱根駅伝、はるか遠い日の記憶である。50数年の時が過ぎ一緒に走った仲間も、戦争という時もあって殆ど生きていない。消息のわかっているのが私を含めて4名、その3人も健康をそこね、一緒に盃を傾ける日も既に望めない。

元来私なども中学時代はフィールドであった。ひやかし半分に出た学内マラソンで入賞したという事で長距離に引っぱりこまれた。私の大学が昭和8年、はじめて参加が認められその年が2回目であり選手を揃えるのに難渋していた。全く、今の学内選考会で出場者を選ぶのとは雲泥の違いである。

12月に入ると小田原での合宿。当時砂利道、雪どけの道、寒風肌を刺すという言葉がぴったりの中で毎日きびしい練習が繰り返された。しかし、この地に来て驚いたのは駅伝熱の盛り上がり、大人も子供も各大学の有名選手の名前、記録などを本当によく知っていた。私達はある部員の縁で御幸神社に近く、ここは小田原の花街の一角に一軒の空家を借りて合宿生活を始めた。料亭が並ぶはなやかな雰囲気の漂う街であった。

その頃日本中が皇太子誕生で喜びに沸き返っていた。思いがけなくも新春の駅伝は、補欠のつもりが7区小田原・平塚を走る事になった。山下りの河野さんが予想より早く中継所に現れ準備運動も十分でない私が無我夢中で駆けつづけた。襷を受取り平塚で手渡した事以外は全く何も覚えていない。

記録は勿論自慢出来るようなものでない。合宿所は花街の中であり、試合当日は正月でもあって多くの着飾った半玉や芸妓がたくさん応援に駆け付けた風景は異彩であった。今になれば苦しかったことすべて忘れ楽しい思い出だけが生きている。

後年軍隊生活に入り、陸軍の学校できびしく鍛えられたが、箱根駅伝の練習に耐えた私の人生では、他の人がいう程つらい感じは全くしなかった。その意味では肉体のみならず精神的にも駅伝によって随分育てられた。その時もらった参加章は、15周年記念であり随分立派であった。これだけは大切にしている。



東洋大学の戦没者の卒業年別の人数は下記のようになりました。昭和16年以降は修業年限短縮により卒業月はまちまちになっています

大正 13 年 3 月 1 名 0.5%
大正 14 年 3 月 0 名 0.0%
大正 15 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 2 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 3 年 3 月 0 名 0.0%
昭和 4 年 3 月 3 名 1.5%
昭和 5 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 6 年 3 月 2 名 1.0%
昭和 7 年 3 月 2 名 1.0%
昭和 8 年 3 月 1 名 0.5%
昭和 9 年 3 月 3 名 1.5%
昭和 10 年 3 月 7 名 3.4%
昭和 11 年 3 月 4 名 2.0%
昭和 12 年 3 月 15 名 7.4%
昭和 13 年 3 月 11 名 5.4%
昭和 14 年 3 月 13 名 6.4%
昭和 15 年 3 月 8 名 3.9%
昭和 16 年 3 月 8 名 3.9%
昭和 16 年 12 月 22 名 10.8%
昭和 17 年 9 月 20 名 9.9%
昭和 18 年 9 月 40 名 19.7%
昭和 18 年 11 月 21 名 10.3%
昭和 19 年 9 月 2 名 1.0%
昭和 20 年 3 月 5 名 2.5%
昭和 20 年 9 月 8 名 3.9%
在学 1 名 0.5%
不明 3 名 1.5%
203 名 100.0%

*その後、2015年に新たに一名が判明し現在確認されている校友戦没者は204名とのことです。

           在学中に応召した赤座金納氏の戦死を伝える『東洋大学護国会報』
画像



箱根走者ではありませんが、昭和20年7月5日にフィリピンのクラークフィールドで戦死した上原博氏(昭和18年9月予科卒業)のことが、昭和18年の学徒出陣で同地に出征した京大生・赤松信乗の手記『特攻基地の墓碑銘ー赤松海軍予備学生日記』出ていますので、参考までに該当箇所を引用いたします。

(昭和19年)十二月七日
S七○一のテントに内地よりの手紙、寄託品を届ける。僅か半月ばかり前に来た今田中尉(今田勝巳、中部ルソン島にて二十年七月戦死・宮崎県延岡市)、田中少尉(田中四郎中尉、S四○二・戦死・大阪市出身)、上原予備学生(上原博中尉、中部ルソン島にて二十年七月戦死・東洋大・豊島区堀ノ内出身)、河村予備学生(川村正三郎中尉、クラーク防衛戦に斬込み隊長として出撃・二十年三月戦死・早大在学・福岡市高畑新町)もすっかり殺気立った眼をしている。

(昭和20年)四月二十八日
二中隊が通過して行った。先頭今田大尉、田中少尉(田中久雄、S七○一・整備・二十年五月戦死・愛知県)、上原少尉の順で十二、三名になっていた。
二中隊はすでに自活態勢に入り、分散したらしい口ぶりだ。元気らしいが、ちょっと話して別れる。

(昭和20年)八月三十日
ほっとひと息つくところへ、陸軍兵六名まぎれ込む。
聞くと撃兵団高山連隊の者らしい。川北伍長を長とし、台湾出身者二名を含む…中略…気がつくと川北伍長が、上原少尉の名入りの雑嚢を所持しており、事情を聴く。
すでに今田大尉、上原少尉以下突破に失敗したらしい。上原少尉は、白重整曹長など部下三名と失敗後、川北伍長の小屋に同居していたらしい。
その後、行動を共にしたが、病死の由。

遺族からの手紙
故元戦闘第七○一飛行隊附
海軍中尉上原博母上原サト

前略 御いそがしい所早速御返事有難う御座いました。
御書面によりますと博がはかない最後を遂げましたとの事考えれば考える程、まことに夢のようで御座います。
なげいたとて帰らぬこととは思いながら親としてありし日の事が、次から次と思い出されてただ涙にくれて居ります。
知らぬ事とはいいながら、昨年七月に死亡して居るにもかかわらず何の不自由もなく過ごしていた事が思えば申訳ない次第です。

博が帰ってくると思えば仕事にも張合いがございましたが、もう帰らぬと思いますと、何もかも手につかず親子三人顔を見合わすごとに話は博の事になり淋しい日々を送って居ります……後略
昭和二十一年三月八日

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