テーマ:野球

都市対抗野球:東洋大学出身出場者一覧Ⅲ(平成21年~)=東洋大学野球部の歴史-資料編39

(ヘッダー部分に当サイト内用検索窓を設けましたので御活用下さい) ~都市対抗野球~ 東洋大学出身選手一覧平成21年~ (○は補強選手として出場。また、スタッフは監督のみ) (2019年7月8日更新) H21年・第80回 31名 JR東日本東北 仙台市 長谷部 純(内)…
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グローバルリーグ・東京ドラゴンズの一員:千葉久投手=東洋大野球部の歴史―人物③

*本記事は拙ブログをはじめて間もない2008年3月にUPしたものですが、記事中で紹介している『ドンキホーテ軍団』の著者・安部牧郎氏の訃報に接し、トップに持ってきました。 ご冥福をお祈りいたします。 先日UPしたエントリー「対東大戦 於:神宮球場」の試合の中で東洋大三番手の投手に千葉と言う名がある。 当時の新聞を見てみると、千葉…
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東洋大学&付属校:プロ入団と拒否=東洋大学野球部の歴史-資料編⑭

東洋大及び付属高校からのこれまでのプロ入団者と高卒時を含むドラフト指名→入団者及び拒否者の一覧。 *○=入団  ×=入団拒否 *名前がリンクになっている選手はクリックするとYouTubeの動画が見られます。 (平成30年10月25日、ドラフト後に更新) 東洋大出身者 年 高校時(拒否→進学).....…
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二年続けて甲子園で魔の9回。ツーアウトから・・:上尾高のメンバー=東洋大学野球部の歴史ーエピソード④

*本記事は拙ブログを開設して間もない2008年4月にUPしたものですが、本日(2018年6月7日)の朝日新聞デジタルに掲載された記事“埼玉)ベストゲーム 上尾の選手たちはいま”で、仁村徹・福田治男・長堀肇・市川司郎の四氏のその後が紹介されていたので、トップに持ってきました。 仁村徹投手が昭和五十四年夏の甲子園での初戦、対浪商戦で九…
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インブリー事件の主人公邸宅公開=東京都文化財ウィーク

例年、文化の日にあわせて“東京都文化財ウィーク”という催しが行われております。 今年は10月28日(土)から11月5日(日)まで、都内の日ごろは一般に公開されていない文化財を見ることができます。 無料のパンフレットが駅や都区の公共施設などでも配られておりますが、下記リンク先からも見ることができますので、ご興味のある方は覗いてみてくだ…
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法政大学から逆戻りして中等野球に出場した小方二十世投手

高校野球の歴史に少し詳しい方ならご存知かと思いますが、四大学野球リーグ(まだ立教と帝大が加盟する前の六大学)に法政大学の選手として出場していた小方二十世(おがたはたよ)投手が、大正九年の第六回全国中等学校野球大会(今の夏の甲子園大会ですが、当時は鳴尾球場)に九州地区代表の豊国中学の選手として出場した「小方事件」というものがありました。 …
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改訂版:戦後甲子園優勝投手の進路=春の選抜編

『戦後甲子園優勝投手の進路』の”バージョンアップ版”、『改訂版:戦後甲子園優勝投手の進路=夏の選手権編』に引き続き“春の選抜編”を作成いたしました。 *H29年2月4日更新 春:選抜 大学 社会人 プロ 備考(プロ通算成績など) S21 ――― ――― S2…
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昭和四年、東洋大・駒澤大・大正大 三大学リーグ戦

『東洋大学百年史ー通史編Ⅰ』にある戦前の野球部の項には 「昭和六年かねて協議中であった文理・拓殖・東洋の三大学野球連盟が結成された…(中略)…なお、例年おこなわれていた大正・駒沢・東洋の三大学リーグ野球戦は大正大学の脱退によって、次年度からリーグ戦を廃して駒沢大学と東洋大学の定期戦とすることとなった」 とあるのですが、大正・駒沢との…
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番外編:1964年の東京オリンピック・デモンストレーション・ゲーム

*本記事は2016年オリンピックに落選した2009年にUPいたしましたが、その後代表メンバーの一覧をH25年10月2日、ユニフォームに関する日刊スポーツの記事をH27年1月31日に加筆いたしました。 1964年の第18回の東京オリンピック。当時はもちろん野球は正式競技にはなっていなかったが、“デモンストレーション・ゲーム”として全…
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土肥と小田、50人目はさてどっち?=東洋大出身プロ野球選手

え~このところなんやらかんやら御座いまして…新規の記事をUPするのは8月6日以来となってしまいました。 先日行われたドラフト会議では東洋大OBの土肥寛昌投手と小田裕也外野手がヤクルトとオリックスから指名されました。ともにプロ入りを希望しているようなので、東洋大出身のプロ野球選手が新たに二人誕生となりそうであります。 そこで、…
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〝延長45回〟を戦った東洋大OB:白川不三夫選手=東洋大野球部の歴史―人物⑨

*6年前にUPした記事ですが、高校軟式野球の“延長50回”が話題になっているので再度トップに持ってきました。 昭和44年から47年まで在籍した白川不三夫選手は拓大一高出身、甲子園出場はならなかったが当時の新聞を見ると高三時は拓大一高の四番を打ち、昭和43年の夏の東京都予選ではシード校として三回戦から登場、初戦の対駒込高戦は10-3…
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戦国の対極、全カードが二試合で終わった“完全シーズン”=昭和37(1962)年春の東都二部

“戦国”の名が冠されて久しい東都大学野球では勝点5の完全優勝でも10勝0敗の“完全完全優勝”となると一部リーグではS28: 春の中央大、S31:秋とH16:春の日本大の三回しかありません。 では、一部・二部を通じて全てのカードが二回戦で決着する“完全シーズン”はないものかと思い、過去の記録をあたってみました。 すると、さすがに…
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プロ野球の最優秀新人(新人王)一覧②=出身校別

前記事で作成した年度ごとのプロ野球新人王選手を出身チーム別にして人数を集計してみました。 (但し高校と社会人は文字数の関係もあり2人以上のみ) (H25年11月25日更新) 出身大学別 年度 大学 リーグ 社会人 パ 1951 陰山和夫 南海 内② 9 人 早稲田大 東京六大…
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プロ野球の最優秀新人(新人王)一覧①=年度別

これまでの新人王受賞者を一覧にしてみました。(平成25年11月25日更新) *守備の後の円内数字は登録年数 プロ野球最優秀新人(新人王)一覧 セ・リーグ 年度... 球団........... 守備 高校...... 大学..................... 社会人 1950 大島信雄 洋…
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亜大・東浜投手のこれまでの通算成績

本日、通算300を達成した亜大・東浜投手のこれまでの通算成績をまとめてみました。 (平成23年10月11日、対東洋大一回戦まで) シーズン別通算成績 勝敗 完封 投球回 投球数 打者 被安打 三振 四死球 失点 自責点 防御率 09…
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六大学に加盟申請していた国学院、祝“80年ぶり?”の快挙!

本日、東都大学野球で初優勝を果たした国学院大学。新聞社のウェブサイトなどでは“創部80年目”と報じられているが、『東都大学野球連盟70年史』では“大正9年”創部となっている。 ここ数年の『神宮球場ガイドブック』は“昭和6年”創部となっているので、これを基準に計算すれば数えて80年だが、昭和6年という年は東都大学野球連盟(当時は五大学野…
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動画:永井怜投手

プロ三年目にして二桁の勝ち星を挙げ、チームの躍進にも貢献した東北楽天・永井令投手。 先日はフジテレビの「ジャンク・スポーツ」に出演し、ビーチバレーで浅尾美和選手と対戦していたが、他にも年末年始の特番に幾つか出演するようだ。人気稼業のプロ野球選手にとっては、バラエティ番組からお声が掛かるのも一人前の選手になった証しと言えようか……。 …
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祝・千葉ロッテ4位指名:清田育宏選手

本日のドラフト会議で千葉ロッテより4位指名を受けたNTT東日本・清田育宏選手の動画。 ~YouTube動画より~ 東洋大時代の清田育宏選手      http://www.youtube.com/watch?v=ba3hSfU9X5U NTT東日本での清田選手 http://www.youtube.c…
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43年前の甲子園決勝:中京商(現中京大中京)と戦った二選手

中京大中京の七回目の優勝で幕を閉じた今年の夏の甲子園大会。判官びいきの多い高校野球ファンの中には、敗れたとはいえ大健闘した日本文理の戦いぶりに拍手を送った方も多いことだろう。(もっともその日本文理も準々決勝で大勝した時、翌日のマスコミがインフルエンザ禍にもめげずに戦った立正大湘南を讃える報道一辺倒だったので少々肩身の狭い思いをしたのでは…
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プロ初勝利:上野大樹投手。

昨日(8月21日)、対西武戦でプロ初勝利を挙げた上野大樹投手。二番手として登板し1回2/3・被安打3・自責点0での勝利投手はいささか棚ボタの感もあるが、それでも輝かしいプロ初勝利である。 高校時代は選抜出場を賭けた二年秋の都大会準々決勝・対拓大一高戦で八回まで2点をリードしながら、9回に逆転スリーランを浴び、選抜出場は叶わなかった…
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東都大学野球:09春のリーグ戦終了時点での通算投手成績=投球回数順

東都大学野球:09春のリーグ戦終了時点での各校投手の通算成績を算出し、投球回数の多い順に一覧にしてみました。 所属と学年 右左 出身校 試合数 投球回..... ..... 勝 ...... 敗 自責点 防御率 村松伸哉 国学 三年 右 光星学院 25 142 6 14 53 3.3…
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東都大学野球:09春のリーグ戦終了時点での通算打撃成績=安打数順

『大学野球』誌と『神宮球場ガイドブック』を基に、東都大学野球の09年春のリーグ戦終了時点での主な野手の通算打撃成績を安打数順で算出してみました。 所属と学年 守備 出身校 試合 打数 安打 打点 本塁打 打率 中田亮二 亜大 四年 内 明徳義塾 84 319 90 34 8 0.282…
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東洋大OBプロ選手の“思い出”?

今年も週間ベースボールの『選手名鑑号』が2月6日の発売され、晴れてプロ選手の仲間入りを果たした大野奨太選手と上野大樹選手も掲載されている。 毎年発行されるこの“週ベ”の名鑑には“主なタイトルと受賞年度”の欄があり、ノンタイトルの場合は“思い出のシーン”が掲載されている。 そこで、今年在籍している東洋大OBの選手・スタッフの“思い出”…
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東洋大OBプロ選手の“成長度”?

プロ野球選手と言うのは“大きい”!。テレビで見ているとスマートな印象の選手でも、近くで見るとやはり“大きい”!。 神宮で東都の試合を観戦すると、時にはドラフト候補に挙げられている選手とトイレで隣り合っていたりすることもあるが、身長は遜色なくとも体の厚みや腰回りのスケールがやはり違うように感じる。 そこで、東洋大出身現役プロ選手の…
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番外編:中等野球にもあった「東京」vs「東都」

一昨日(7月10日)高校野球西兵庫大会で東洋大姫路が初戦で敗退してしまった。プロ注目の佐藤投手を擁して選抜でもベスト4まで勝ち進み、“夏こそは”、の期待も大きかっただけに残念である。 ところで、10日の各地の予選の結果を見ていて、東洋大に縁のある高校が三校敗退していることに気がついた。 西兵庫大会 北  条 4-0東洋大姫…
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同級のライバルは・・・:日野伸一(泰宏)投手=東洋大野球部の歴史―人物⑦

先回のエントリー、「一級下のライバルは・・・:北島広行投手」の中でも紹介した日野伸一(一時泰宏と改名)投手は高校三年時の春の選抜大会に出場した際、千葉商大付の平沼、早実の荒木とともに“埼玉の無失点男・日野”として注目を集めていた。 当時の展望記事によれば、・・・(平沼に)次いで左の日野(上尾)。制球力があり、27試合で無四球試合1…
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一級下のライバルは・・・:北島広行投手=東洋大野球部の歴史―人物⑥

在学中通算12勝を挙げた北島広行投手の出身校は豊南高校。野球ではあまり聞かない校名であるが、『プロ野球人名辞典』を見てみると豊南高校出身の選手が一人だけいる。日根鉱三という国鉄に昭和36~37の二年間だけ在籍し、一軍出場はなかった選手だが、同書によれば日根選手が二年の時に野球部を創部し、エースを務めたとのこと。またこの人は“歌手IZAM…
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東洋大学野球部の歴史-戦前⑩昭和六年

前稿、戦前編⑧を以って大正時代は終わり本稿から昭和へとはいってゆくのだが、東洋大学の試合結果が新聞紙上に見られるようになるのは昭和六年秋に始まる三大学リーグ戦からである。その間、野球に関連する事項としては、『東洋大学百年史』の年表に 大正十五年四月   応援団結成 昭和  四年十月九日 野球部、関西遠征出発(立命、大谷、龍…
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甲子園、神宮、都市対抗のマウンドを踏んだ四番打者:石崎透選手=東洋大野球部の歴史―人物⑤

  九回裏、専大漆畑の遊ゴロを、あやつり人形のようなギコチなさで捕った東洋大の渡辺遊撃手が一塁へ高投した。一瞬ハッとさせる場面だったが、ジャンプした石崎一塁手がミットにおさめ、東洋大の優勝が決まった。(「毎日新聞昭和五十三年十月二十六日朝刊」) 上に掲げ…
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死球の筈が決勝本塁打:細川昌俊選手=東洋大野球部の歴史―人物④

細川昌俊選手の事が気になりだしたのは「個人別通算本塁打」を集計した時からである。個人で通算二桁の本塁打を記録したのはこの細川選手が東洋大では最初なのだ。以後、細川選手を含む計8名の選手が通算二桁の本塁打を記録しているのだが、他の七選手は在籍期間中一度は打撃十傑入り、或いはベストナインに選出されているのに、この細川選手だけは一度もないので…
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