テーマ:歴史-人物

グローバルリーグ・東京ドラゴンズの一員:千葉久投手=東洋大野球部の歴史―人物③

*本記事は拙ブログをはじめて間もない2008年3月にUPしたものですが、記事中で紹介している『ドンキホーテ軍団』の著者・安部牧郎氏の訃報に接し、トップに持ってきました。 ご冥福をお祈りいたします。 先日UPしたエントリー「対東大戦 於:神宮球場」の試合の中で東洋大三番手の投手に千葉と言う名がある。 当時の新聞を見てみると、千葉…
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〝延長45回〟を戦った東洋大OB:白川不三夫選手=東洋大野球部の歴史―人物⑨

*6年前にUPした記事ですが、高校軟式野球の“延長50回”が話題になっているので再度トップに持ってきました。 昭和44年から47年まで在籍した白川不三夫選手は拓大一高出身、甲子園出場はならなかったが当時の新聞を見ると高三時は拓大一高の四番を打ち、昭和43年の夏の東京都予選ではシード校として三回戦から登場、初戦の対駒込高戦は10-3…
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“山旅ひと筋”の野球部長:田部重治=東洋大野球部の歴史―人物⑩

正月恒例の箱根駅伝では最後まで健闘したもののトップの早稲田大に及ばず総合優勝を逃した東洋大だが、往路では今や全国にその顔が知られるようになった柏原竜二選手が、スタートの一区から終始先行し続けた早稲田大をお約束の山登りで捉え“三連覇”を達成。前年度のチャンピオン校としての面目を保った。 力感あふれる太ももが生み出す推進力で、先行するライ…
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ノーヒットノーランに一安打完封でお返し・・・:鶴岡昌宏選手=東洋大野球部の歴史―人物⑧

今年は早々と姿を消してしまったものの、過去には全国制覇の実績もある東洋大姫路高に比べ、未だ甲子園出場の叶わぬのが東洋大牛久高だが、近年、大野久監督を迎えて徐々に力をつけ甲子園まであと一歩のところまで来ている。今年も茨城大会ベスト4で力尽きてしまったが、来年以降に期待したいものだ。 その東洋大牛久高が夏の茨城大会で最有力候補に挙げら…
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同級のライバルは・・・:日野伸一(泰宏)投手=東洋大野球部の歴史―人物⑦

先回のエントリー、「一級下のライバルは・・・:北島広行投手」の中でも紹介した日野伸一(一時泰宏と改名)投手は高校三年時の春の選抜大会に出場した際、千葉商大付の平沼、早実の荒木とともに“埼玉の無失点男・日野”として注目を集めていた。 当時の展望記事によれば、・・・(平沼に)次いで左の日野(上尾)。制球力があり、27試合で無四球試合1…
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一級下のライバルは・・・:北島広行投手=東洋大野球部の歴史―人物⑥

在学中通算12勝を挙げた北島広行投手の出身校は豊南高校。野球ではあまり聞かない校名であるが、『プロ野球人名辞典』を見てみると豊南高校出身の選手が一人だけいる。日根鉱三という国鉄に昭和36~37の二年間だけ在籍し、一軍出場はなかった選手だが、同書によれば日根選手が二年の時に野球部を創部し、エースを務めたとのこと。またこの人は“歌手IZAM…
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甲子園、神宮、都市対抗のマウンドを踏んだ四番打者:石崎透選手=東洋大野球部の歴史―人物⑤

  九回裏、専大漆畑の遊ゴロを、あやつり人形のようなギコチなさで捕った東洋大の渡辺遊撃手が一塁へ高投した。一瞬ハッとさせる場面だったが、ジャンプした石崎一塁手がミットにおさめ、東洋大の優勝が決まった。(「毎日新聞昭和五十三年十月二十六日朝刊」) 上に掲げ…
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死球の筈が決勝本塁打:細川昌俊選手=東洋大野球部の歴史―人物④

細川昌俊選手の事が気になりだしたのは「個人別通算本塁打」を集計した時からである。個人で通算二桁の本塁打を記録したのはこの細川選手が東洋大では最初なのだ。以後、細川選手を含む計8名の選手が通算二桁の本塁打を記録しているのだが、他の七選手は在籍期間中一度は打撃十傑入り、或いはベストナインに選出されているのに、この細川選手だけは一度もないので…
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東洋大学野球部の歴史-人物②安田昌功さん

先日、スポーツ紙で桑田投手の御子息が桜美林高進学、という記事を見た。桜美林と言えば少々年代が上の世代にとっては昭和五十一年夏の甲子園での初出場初優勝が思い浮かぶのではなかろうか。伏兵的な存在だった上に、決勝の相手がPL学園ということで、“東西対決”で盛り上がったものだが、今では当時のメンバーの息子世代でも、“ハンカチ王子”様を呼び捨てに…
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東洋大学野球部の歴史-人物①野本喜一郎さんⅡ

野本喜一郎さんの選手しての経歴はどの様なものであったのか。 前項で引いた『甲子園高校野球人物事典』の「不動岡中では3年生の’37から投手として活躍」とあるので当時の新聞を当たってみた。(旧制中学は五年生である) いずれも甲子園南関東予選埼玉予選の結果である。 結果のみでメンバーなどはわからない。 昭和12年(’37)…
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東洋大学野球部の歴史-人物①野本喜一郎さんⅠ

野本喜一郎さんの経歴を知りたくて書籍や新聞など幾つかあたってみた。 ① プロ野球人名辞典2003年版(日外アソシエーツ)  1922.5.8~1986.8.8 出身・埼玉県北埼玉郡/不動岡中(現・不動岡高)→台北高商→コロムビア 球団・’50西日本 ‘51-’52西鉄 ‘53近鉄 ポジション・投手  経歴・引退後、東洋大に進学…
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